現在、ジョンやポールの家の中に入るにはナショナル・トラスト財団の
ツアーに申し込み以外方法がありません。
少人数性の為早くから予約しないと中々取れないようです。
今回、実際にジョンやポールの家に入ることができたのですが、
素晴らしい世界的なビートルズの大成功も、イギリスの決して便利とはいえない地方都市のさらに市街地のほんとうに小さなベッドルームからスタートことに驚きました。
ジョンの最初の妻でジュリアン・レノンの母親でもあるシンシアが
語っていますが、当時どうやら彼らは小さな目標を一杯立てていて、最初から大きな成功を目標にしていなかった事がわかります。
彼らはリバプールにこだわり正に地域密着型の営業をずっと行っていたのです。
ジョージ・ハリスンも有名になってからもリバプールなまりの英語をよく馬鹿にされたそうです。
それでもずっとリバプールなまりの英語を話していたようです。
ジョンとポールは本当に小さな部屋の片隅で将来の自分たちの夢を語り合っていたようです。
それは実際に中に入ってみるとびっくりするようなサイズの小ささです。
彼らは成功することよりも音楽で生計を立てることを最初は目的にしていました。
商業的に音楽で成功するために公演のスケジュールを管理したり、レコード会社に売り込む為にまず最初に「マネージャー」を探したのです。
売り込みは第三者がするのはやはり中小企業の鉄則ですね。
これはとても珍しいことで、ただのアマチュアバンドがマネージャーを採用すること自体、彼らのある意味戦略的な考えが浮かんできます。
最初のマネジャーは、彼らをハンブルグに送り出すのですがあまりにもひどい労働条件だったようで、ジョンがハンブルグから電話をかけてきてそのマネージャーにマネジャー代金は支払わないと告げたそうです。
この最初のマネージャーは、後に最も失敗したマネージャーとして歴史に名前を残すことになります(笑)
現在でもこのマネジャーにポールは15ポンド(現在の価値で約3000円)の借金があることを自慢しています。
これはハンブルグに行く時にポールが服が買えなくて彼が立て替えた為支払ったお金のようです。
そして2人目のマネジャーが後にビートルズのマネジャーとして有名な
ブライアン・エプスタインで当時は地元でレコード店を営んでいました。
彼はユダヤ人でとても頭のいい人物だったようで、他の多くの似たようなバンドとの差別化を考えて、他の多くのバンドメンバーも着ていた皮のジャンパーをやめさせ、リーゼントをやめさせ、スーツを着せ演奏の最後にはお辞儀をするようにさせました。
これがその後、ビートルズのスタイルとしてオリジナリティを発揮するのです。
つまりその時点ではまだ「音楽の差別化」ができていなかったので「サービスの差別化」をしたのです。
これは中小企業の「差別化戦略」にとても参考になるのではないでしょうか?!
ビートルズの成功の出発点には、リバプールの地元振興を願う多くの協力者がいたことが今回とてもよくわかりました。
その地元で一番集客力のあるバンドをビートルズ自体が目指していたことが大変興味深く感じました。
そして、場所の問題ではなく願望熱意53%です!!
これがなければ、戦略も何もありません。
中小企業の経営者にとっても大切なことは、自分の置かれている環境に問題があるとしても、そこから先はやはり当事者の「願望」と「熱意」がスタート地点です。
そして、ビートルズのように最初から高い目標ではなくまず自分の環境におけるNo,1を目標にしていけば必ず協力者が現れるということです。
私は今回、ジョン・レノンが人生で一番長く過ごした彼のベッドルームに入ることができてとても感動を覚えました。
あの小さなベッドの上で彼はいろいろな想像をしていたのだと思うと、まず自分にできることは何であるか、そしてすべきことがなんであるかを常に考えることが重要であることに気がつきました。
夢は思うことがスタートであることも・・・
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